ライフスタイル

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柏崎の自然をたくさん感じて欲しい。子育ての場所として柏崎を選んだ家族の暮らし

「柏崎をたくさん体験して育って欲しい」

そう話すのは、柏崎出身の丸山陽さんと大阪出身の丸山佳世さん。

5年間の遠距離恋愛を経て、結婚。柏崎での生活が始まってから、すぐに子育てが始まり、時間はあっという間に過ぎていった。子どもの成長と共に、新しい柏崎を知っていく日々。

故郷が柏崎であることを誇りに思ってもらえるように、共に過ごせる家族の時間をいつも大事にしているという。丸山家が見てきた柏崎の魅力と家族の暮らしぶりを聞いた。

プロフィール
お名前
丸山陽さん
コメント
1979年2月生まれ。長岡市で小学校3年生まで過ごし、柏崎へ。1997年に大学進学を機に大阪へ。卒業後は新潟へUターンし、現在は柏崎市内のインフラ関連の企業で働く。

プロフィール
お名前
丸山佳世さん
コメント
1980年2月生まれ、東大阪市出身。2007年に結婚を機会に柏崎へIターン。フラダンスが趣味。

プロフィール
お名前
丸山葉月さん (長女)
コメント
柏崎市内の中学校に通う3年生。趣味は絵を描くこと。柏崎の海と空が好き。

プロフィール
お名前
丸山咲月さん(次女)
コメント
柏崎市内の小学校に通う6年生。夕陽の写真を撮るのが趣味。弓道にチャレンジしてみたい。

一度は躊躇した柏崎への移住

佳世
最初は大阪を出るという覚悟が決まらずにいました。特に雪への不安。結婚前に何度も柏崎には来ていたのですが、それでも今まで暮らしていた場所を離れるのは、難しいことでした

大阪で生まれ育った佳世さんにとって、柏崎は未知の土地。いろいろなものを置いていかなくてならないことが、一番の心残りだったという。

25歳の頃(結婚・移住する2年前)にプロポーズをしているのですが、一度断られていますね。私が20歳、妻が19歳の時に出会っているので付き合いは長かったのですが、遠距離恋愛を続けていました
佳世
何回か柏崎を訪れるようになって、義理の両親とも少しずつ仲良くなることができました。それをとっかかりにして、2007年に柏崎に移住することを決めました

柏崎出身の陽さんの暮らす柏崎への移住。生活をつくっていこうとした矢先、大きな出来事が起こります。

佳世
柏崎に来てから数ヶ月後くらいで新潟県中越沖地震が起きたんです
柏崎の生活は波乱のスタートでした。兄夫婦が住んでいたアパートが住めなくなって、三家族で同居することになったのです。結婚してすぐに子どもも授かったので、妊娠数ヶ月の妻と兄夫婦と両親との生活でした
佳世
義理のお姉さんが一緒にいてくれたので、それは心の支えになりましたね。でも、外に出る機会もなく、車の運転もできなくて、世界が家の中だけで完結していましたね
柏崎の生活に慣れるのは時間がかかったという

結婚、移住、妊娠と人生の転機が続く中での震災。出産と子育てを経て、ようやく身の回りを見渡せるようになったのは、移住をしてから1年以上経ってからだった。

子育てを通じて、広がっていく関係性

柏崎に来て2年ほど経った頃、佳世さんにも、ようやく友人ができ始めた。

佳世
市内で子育て世代の親子が交流できる場所や親子で遊べる施設がいくつかあって、そこに行くようになりました。そしたら、私と同じように他の地域から柏崎に嫁いできたお母さんとも知り合うようになって。子どもが共通の話題になって関係性が広がっていきました

佳世さんの様に柏崎に嫁いで来る移住者は多い。大阪に住んでいたときとは違い、同世代のママ友は貴重な存在。柏崎の『ママコミュニティ』に度々救われることもあった。柏崎での生活も数年が経ち、子どもの成長に合わせて家族の生活にも変化が現れ始める。

平日は仕事で、夜も飲み会があって、家事や子育ては妻に任せてばかりでした。新潟県中越沖地震の影響も落ち着いてきた頃に、ようやく家を建てようという話になって、自分達の生活の基盤ができたのが、また一つの転機になりましたね
佳世
実は大阪でずっとフラダンスをやっていました。柏崎でもないか探していて、最初は上越まで通っていたんですね。でも、通っているうちに柏崎にも教室を作ってくれることになって、子育ても一段落して、また打ち込めるようになりました。フラダンスは大阪に残してきた大きな心残りの一つだったので、嬉しかったですね

柏崎のイベントでの発表会や交流を通じて、柏崎への愛着も芽生えてきた佳世さん。陽さんの故郷だった柏崎は、いつしか家族の故郷になっていることに気がつく。

家族で海辺を歩く仲睦まじい風景
佳世
子育てをする中で、柏崎は子どもにとっての地元になるんだなっていう当たり前のことに気がつきました。そう思うと見え方も変わってきましたね。周りの人も優しくて、野菜をくれたりご近所さんとも年齢関係なく仲良くなれたり。大阪に住んでいた時にはなかった経験でした
自分が育った柏崎で、子どもたちが大きくなって学校に通って成長していくのは、やっぱり嬉しいです。柏崎で体験してきたことを子どもたちにも体験して欲しいし、知って欲しいと思って休みの日は家族の時間を大切にしています

家族との大切な時間を柏崎で

柏崎に来て16年が経ち、子どもたちは中学3年生と小学6年生になった。進路を考え始める時期でもある。家族の時間はなるべく柏崎で過ごし、親子で色んなことを体験することを心がけている。

佳世
子どもたちと一緒に初めてする体験も増えました。スキーも子どもたちが授業で行うので、一緒に行くこともあります。大阪に住んでいる妹の子どもは、まだ海にも行ったこともないみたいで、都市部での子育てと比べると自然が身近にあるから、自然の中で一緒に楽しめることも多いですよね
下の子は山登りや海辺でシーグラスを拾うのが好きで一緒に行くこともあります。夏はカイトサーフィンやSUPもある。山も海も近くて、田んぼも川もある。冬は雪が降って、ほどよく都市。足を伸ばせば長野や群馬にもいける。実はなかなかない環境なのではないかなと子育てをしてあらためて感じています

子どもと一緒に柏崎を知り、一緒に体験をする。
子育てをする場所に柏崎を選んだのは丸山家にとって、正解だったようだ。
家族で海沿いを歩きながら、これからの家族の姿を思い浮かべる。

佳世
進路を考える年齢ですから、家族一緒にいられる時間は多くはないですよね
もう数年もしたら、就職するのか進学するのか決めていくことになる。そうすると家族全員で一緒にいられる時間って貴重だと思うんです
佳世
無理に柏崎に残らなくてもよくて。色んなところを見てまわって、何かあったときや自然の中に帰りたいと思ったときに柏崎に戻って来れるような思い出をつくっていきたいです
夕陽の沈む海は、柏崎を故郷に持つ人の原風景

子どもたちに、柏崎のどこが好きか尋ねると『夕陽が沈む海が好き』だと娘の葉月さんと咲月さんは口を揃えて言った。家族揃って見たこの景色をいつまでも忘れることはなさそうだ。

家族で共に過ごす場所をどこにするかという選択は子どもたちの故郷を決めることと同じこと。 
どんな景色を子どもたちの瞳に映したいか。そんな視点で柏崎を見てもらいたい。故郷を柏崎に持つことは、きっと幸せなことだろう。