ライフスタイル

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空き家を活かして柏崎を盛り上げたい。「けみや」が語る25年越しの夢。

ただ漠然と、東京に行きたい。
そんな想いを持って18歳で上京し、施工管理の仕事に就いた。
一人親方として独立してからも、仕事は順調に増えていく。
忙しい日々を過ごしていると、25年が経っていた。

「俺が帰らなかったら、家がなくなるのか」

帰省をしたときに、ふと頭によぎる。
多くの人が抱えているであろう故郷に残してきた実家への不安。
毛見俊夫さんが不安に向き合って出した答えは、埼玉で暮らす家族とのUターンだった。

慣れ親しんだ関東を離れ、柏崎へ

プロフィール
お名前
毛見俊夫さん
コメント
1976年、東京生まれ。4歳の頃に両親の実家である柏崎市へ。高校卒業後は、美容師・バーテンダー・イベント企画・空間ディレクターなどの多岐に渡る仕事を経て、2011年に『ケミ設備』を開業。2018年4月に柏崎市にUターン。

プロフィール
お名前
毛見美樹さん
コメント
千葉県千葉市出身。美容師として働く中で設備工事に来た俊夫さんと出会い結婚。結婚後は埼玉県浦和市で過ごす。埼玉在住時は専業主婦をしていたが、柏崎市へのUターン後は義両親の子育てサポートもあり、職場に復帰。

俊夫
柏崎に帰ってくることになったのは、親戚との飲み会の席で『俺が家を継ぐ』って言ったのが始まりらしいです。『らしい』って言うのは、正直なところ、あまり覚えてなくて。でも、帰らなければ家がなくなるんだなということは、ずっと頭にありました

当時、家族3人、埼玉県浦和市で暮らしていた毛見さんご夫婦。
結婚して家庭を築き、正直、もう柏崎で暮らすことはないだろう。そう考えていたという。

住宅設備工事から内装のリフォームまで、何でもできた俊夫さんは「ケミ設備」の屋号を持ち、個人事業主として働いていた。仕事も順調に増えていたことも、柏崎に帰らない理由としては十分だった。

俊夫
どうして、そんなこと言ったのでしょうね。実は生まれは東京で、4歳の頃に柏崎に来ているんです。関東にも自分のルーツがあるし、設備屋としても上手くいってました。25年も柏崎を離れていて、さらには家族もいる中で、Uターンする方が難しかったようにも思いますけどね
美樹
私も聞いたときは『え、嘘ぉ…』と思いましたよ。子どもも小さくて、2歳とか3歳のときでしたね。転校して環境が変わるのは、子どもが大変だろうと思って、帰るか帰らないかは3年以内に決めようと話をしました

妻のみきさんは千葉県千葉市の出身。勤め先だった美容院の改装工事に来ていた俊夫さんと出会い、2011年に結婚した。結婚後は埼玉県浦和市で暮らすことになる。そして、いざ柏崎へのUターンが現実的になってきたときに感じたのは子育ての不安だったという。

美樹
千葉と埼玉しか住んだことがないので、柏崎での子育てのイメージが湧かなくて不安でした。例えば、病院も埼玉なら徒歩5分圏内で選び放題でしたけど、柏崎だと小児科が周囲にない。埼玉の幼稚園は1学年100人いましたけど、柏崎だと10人前後。近所に友達の家があるという訳でもないので、そういった環境で子育てをするのが不安でした

裏を返せば、子どものこと以外に不安はなかった。自分が生まれ育った地域での子育ては想像できるが、縁のない地域だと想像し難いという不安な気持ちは、東京で子育てに直面した柏崎出身者と同じ心境だっただろう。

俊夫
俺は何とかなると思ってました。仕事に関しては、自分の技術にも自信があったし、何より実家があるということが大きかったですね。仕事としての繋がりは1からのスタートになりますが、やれば何とかなるだろうって気持ちが強かったです

柏崎へのUターンに対照的な夫婦の意見。俊夫さんの力強さを頼りに2018年3月、娘さんの小学校入学前に柏崎での暮らしが始まった。

けみや、空き家を買う

Uターンをした毛見さん一家は、国道沿いに立つ大きな空き家を見つけた。近所でも「あの四角い物置があるところだよね」と特徴的な建物だ。

俊夫
長岡の不動産屋で1100万円くらいで売りに出ていたそうなのですが、ツテをたどって、持ち主の方に直接交渉をしました。相続された方は静岡にいて、手に余るということだったので、250万円で購入させてもらいました
1階のピロティ部分は工房、2階はコミュニティスペースにしたい
母屋は美樹さんを中心にセルフフォトスタジオの計画

購入した物件は、2階建ての木造住宅とコンクリートで舗装された広い中庭。向かいには特徴的な四角く大きな物置。子どもたちも伸び伸び遊べる広い土地。広がる水田と遠くに見える山々を背景にすると、この木造の大きな建物はよく映える。

2階から見渡す限り水田が広がる

住宅設備や内装リフォームを手がけてきた俊夫さんにとっては『可能性の塊』に見えただろう。

俊夫
エアコンを自分で取り付けたり、窓のサッシを変えてみたり。シャッターもyoutubeを見ながら自分で取り付けました。今までは仕事として人のためにやってきた作業でしたけど、自分自身の場所を改良していくのって、やっぱり楽しいですよね
エアコン工事も今までの経験を活かして自分で行った
美樹
下の子が生まれてから、子育てに関する心配は移住する前と変わらずにあります。でも、義理の母が面倒を見てくれて、私もパートに出れるようになったんです。埼玉にいた時は子どもを預けられる場所がなくて専業主婦でしたけど、柏崎に来てから挑戦したいことも出てきました

物置の1階は作業場にしよう。キッチンのある部屋は人が集まれるHUBにしたい。母屋の方は内装を変えてセルフフォトスタジオにしてみたい。次々と夢が膨らむ。

美樹
母屋はセルフフォトスタジオにしたいです。埼玉に住んでいたとき、マンションの一室を工夫してフォトスタジオにしているカメラマンの方に子どもの写真を撮ってもらったことがあって。1軒家なら、色んなシュチュエーションを作れるんじゃないかと思っています。柏崎に移住してきたフォトグラファーの方、ものづくりをしている方、そういう方々が使えるような場所に出来たらいいな
俊夫
景色や環境もいいですよ。このあたりは、中鯖石地域と言って、山と川、そして水田が広がる自然豊かな地域です。海側とは、また少し違う雰囲気ですね。八石山も近くに見えます。登山口の入り口あたりに滝もあるんですよ
近隣には、高さ72メートル「善根の不動滝」もある
俊夫
柏崎に来てから、周辺の自然環境にあらためて目を向けたと同時に、こうした使われない空き家が多くあることに気づきました。この場所がオープンできたら、数年おきくらいに空き家を買って、飲食店にしたりゲストハウスにしたりして管理をしたいですね。埼玉にいたら、叶えられない夢です

長年、東京で培ってきた技術を活かすチャンスが目の前にある。柏崎だから出来ること。土地の安さ、空き家の多さを活かして場づくりをしたい。そんな未来への展望を2人は語った。

柏崎で、ちょっと有名な人になること

Uターンして、しばらくは設備屋の仕事を続けていた俊夫さん。最初は苦労もしたが、長岡や三条の企業からの仕事も増え、安定してきた。

せっかく柏崎に帰ってきたのだから、事業も大きくしていきたい。それだけではなく、ここでしか出来ないことをして、柏崎のためになるようなことがしたい。そんな想いが強くなっていった。

俊夫
ケミ設備という屋号だったのですが、柏崎に帰ってきて『けみや』に変えました。『毛見』を売るという意味合いで、設備工事だけではなく、色んなことをやっていきたい。そんな願いを込めています

東京にいたときは、大きな設備工事の作業員の1人であり、一つのことしかできなくても仕事はたくさんあった。でも柏崎は違う。色んなことを頼まれる。お金をもらう仕事だけではなく、地域の中で求められている仕事もだ。スローライフとは言えないが忙しい中にも楽しさがあった。

俊夫
実は東京に出たばかりの頃は目的もなくバイトして、クラブに行って遊んでばかりでした。自分でクラブイベントもオーガナイズするくらい遊んでました。若い頃に遊んでいたことが、案外、今に活きてます。小学校のイベントの段取りをしたり、フライヤー作ったり、催しものを企画することもありますね。だから、寄り道も無駄じゃないと思うんです
美樹
地区の運動会の進行とかもやってましたよ。面倒だなと言いながら、内心楽しんでいるんだと思います
自分たちの場所を軸に、夢は広がる

何一つ、無駄なものはなかった。
目的なく、漠然と柏崎を出ていった俊夫さんも、仕事をするのを諦めて専業主婦をしていたみきさんも、今や地域を担う貴重な人材の1人として、柏崎になくてはならない存在になっている。

美樹
移住やUターンをしてくれる人がいるなら、是非、新しいことに挑戦してみて欲しいです。そういう人たちによって、地域に色んなものが増えて欲しいですね
俊夫
夢ってほどではないですけど、柏崎で少し有名な人になりたい。『あ、けみやさんね』って言ってもらえるような、そんな存在になれたらいいですね

まだまだ、やりたいことが浮かんでくるという毛見夫妻。
『けみや』の名前が柏崎全土に広がるのも、すぐそこかもしれない。