ライフスタイル

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【移住者対談】柏崎に残る人、夢を追って離れる人。それぞれが抱く地元への想い。

なぜ、若者は柏崎から出ていくのか。
仕事がないから、遊ぶ場所がないから、何もないから。
本当にそれだけが理由なのでしょうか。

柏崎で生まれ育った佐藤友理さん(左)と猪浦千陽さん(右)。
現在、柏崎で活躍する2人は、Uターン移住者。

「地域の中にコミュニティがあると、柏崎に帰ろうと思ったときに背中を押してくれる」
Uターンの決め手になったのは、地元の中の繋がりが生み出す安心感だと話します。

いつか柏崎に帰りたい。でも、挑戦したいことがある。
そんな想いを抱いて柏崎を離れた人に届いて欲しい、『柏崎を一度出たからこそ見つけることができた地元の魅力』とは何か。

それぞれが抱く『地元』に対する想いの変遷を聞きました。

プロフィール
お名前
佐藤友理さん (地域おこし協力隊 / FMピッカラ ラジオパーソナリティー)
コメント
1992年生まれ。柏崎市出身。
高校卒業後、歌手の夢を追いかけて東京の養成学校に通う。その後、ダンスボーカルユニット「Dress calL」として活動。2022年10月から、柏崎市地域おこし協力隊としてFMピッカラに所属し柏崎のPRを行う。
プロフィール
お名前
猪浦千陽さん (THERE IS NOEND マネージャー)
コメント
1993年生まれ。柏崎市出身。
高校卒業後、柏崎市内の企業に就職。その後、柏崎の外が知りたくなり好きなアパレル関連の仕事をするため大阪のアパレル卸会社にEC担当として転職。Uターン後は、地産品にこだわったお弁当屋THERE IS NOEND(ゼアーズノーエンド)のマネージャーとして働く。

夢を追って、柏崎を離れる

ーーーー 2人が柏崎にいた頃、どんなことを考えていましたか?

猪浦
友理は、ずっと歌手になりたがってたよね
佐藤
歌手になるのが小学校のときから夢で、オーディションを受けたいと思って本屋に行ってもオーディション雑誌が売ってない、テレビ番組は放送日が遅れて放送されるから締切終わってることも多くて、『ここ(柏崎)にいたら、歌手になれない!』って思いながら就活してたな
猪浦
就活してたっけ?
佐藤
高校生の時、歌手になりたいっていう夢をなかなか先生に言えなくて、その夢を隠して就活してた。だから企業にも、本気じゃないってバレてて。やっと勇気を出して先生に”歌手になりたいんです。その為に東京の養成学校に行きたいです!”って打ち明けたら『あなたはいい意味で素直な子だから、歌手にはなれないかもしれない。でも、頑張りたいなら、挑戦してみたらいいんじゃない?』って背中を押してくれました。

ーーーーそれがきっかけで東京に行ったのですかね。

佐藤
それが、違うんです!柏崎から通ってました。週1日、毎回高速バスで。柏崎でバイトしてお金を貯めて、20歳を迎えた頃にお金も貯まってたので、そこでようやく上京した
猪浦
私、一緒にオーディション行ったことあったよね
佐藤
あったねぇ!まだ高速バスで通ってた時だ
猪浦
別に私がオーディション受ける訳じゃなかったけど、共通の友達も同じオーディション受けてて、現地までお見送りというか
佐藤
そう!ちょうど、私と友達が二次試験に受かってて。それで千陽が応援するって、ついてきてくれてね
猪浦
でね、東京についていった時に『本気で歌手目指してるんだな』って感じたの。仲良いからこそ、あんまり将来の話とかしてなかったし、なんかすごいなって思った

アーティスト養成学校を卒業した佐藤さんは、29歳まで東京でライブ活動などを行います。幼馴染として柏崎で育った2人ですが、佐藤さんが本気で歌手になる夢を追っていることを感じた猪浦さんにも、変化がありました。

ーーーー猪浦さんは、どんな経緯で柏崎を離れたのですか?

佐藤
私、千陽は地元にずっと残ると思ってたよ
猪浦
どちらかというとそうだったね。柏崎を出た人たちが帰ってきたときに『じゃあ、みんなで集まろう』って声をかける役だった。だから、柏崎を出ていくことになった時も周りも驚いてたし、友理も号泣してたよね
佐藤
そう。先に私が柏崎から出ていたのに、すごく寂しくなっちゃって。柏崎に帰れば千陽がいるのが当たり前だと思ってたから
猪浦
高校卒業して、地元の企業に勤めてたけど、働いているうちに “ずっとこのままでいいのか” 悩んでた。安定した仕事には就けたけど、休みの日が多かったので、色んなところに遊びに行ったり、都会にも行くようになって、自分の知らない世界が柏崎の “外”にあるんじゃないかと思うようになってきて

ーーーー佐藤さんの姿を見ていたのも影響ありましたか?

猪浦
そうかもしれませんね。柏崎にいた時にも、友理のライブは何回か見に行ってました。初めてステージに立って歌ってる姿を見たときは、涙がでました。友達と一緒に行って、友達もみんな泣いててね
佐藤
今、思うと照れくさいね
猪浦
でも、そういう姿を見て、私も柏崎を出てみたいなって思うようになった。頑張ってる人、夢を叶えようとしている人って、とても輝いていて、すごいな。自分も好きなことに挑戦してみたいなと思うようになった

柏崎を離れるときのことを思い出し、笑顔の中にほんのりと感涙を浮かべながら話す猪浦さん。洋服が好きだった猪浦さんは、大阪のアパレル会社への転職を考えはじめ、1年ほどかけて会社を退職。地元の友人たちに見送られながら、21歳で柏崎を出ることになります。

充実した都心での生活、そして帰郷

ーーーー東京と大阪、それぞれの生活はどうでした?

佐藤
アルバイトしながら、ライブに出る。その繰り返し。25歳までは一生懸命やってみようと思っていたのが1年、2年と伸びて、結局10年程は東京にいましたね。騙されたこともあって大変だったけど
猪浦
騙された?
佐藤
そう。大きなライブ会場で歌わせてもらえると言われて出演料を払ったら、会場のバースペース横の畳1枚分くらいしかないところがステージだって言われて。これが東京か…ってこともあった…。でも、毎日楽しかったよ。千陽はどうだった?
猪浦
私も毎日仕事ばかりの日々だったけど、充実してた。ECサイトの運用担当になって、商品の撮影から加工、対応、何でもやった。未経験だったから、経験者に聞いたり、Webデザインの資格を取ったりして前職のルーティン作業とは違う楽しさがあって、忙しさすらいま思えば楽しかった
佐藤
お互い忙しかったけど、柏崎を出てからも旅行によく行ったよね
猪浦
だね。グアム行ったり、熱海行ったりもしたね。柏崎から出たあとも地元の友達と会う機会をつくって、よく遊んだね
佐藤
だから、柏崎は離れていたけど、なんだかんだバランスが取れてたように思うな。一緒に組んで活動する相方もできたし、東京でラジオの仕事をもらってもいたから、柏崎のことは気になりながらも活動は東京でずっと続けてた
猪浦
私も大阪はお店も多くて、プライベートも楽しかったな。仕事終わりに行くと『おかえり』って言ってくれるような馴染みの店もできた。柏崎にいた時とは違って、深夜まで仕事があったり、休みの日も出勤したりしてたけど、仕事自体が楽しかった。家庭に入るのが当たり前だと思ってたけど、仕事を頑張ってもいいし、結婚のタイミングも人それぞれでいいんだって価値観も変わった
佐藤
それなのに、なんで柏崎に戻ろうと思ったの?
猪浦
将来的に私は柏崎に戻るつもりだった。3年は柏崎の外で思いっきりやりたいことやろうって。でも、大阪はやっぱり楽しいからって伸び伸びになってた。それでも半年に1回は柏崎に帰省してたけど、知ってるお店がなくなったり、親も歳をとっていくのを見て、なんか少し寂しいなと思ってた
佐藤
親のことは考えるよね
猪浦
柏崎に戻る決め手は親の入院。全然、たいしたことはなかったけど、その時に『あ、帰らなきゃ』って。寂しくなっていく柏崎もそうだし、歳をとっていく親もそうだけど、自分にも何かできることがある気がしてた。そこから半年くらいで退職して、戻ってきました

猪浦さんは、5年間暮らした大阪を出て、2019年6月に大阪から柏崎に帰郷。
柏崎市役所内にも店舗を構える地産地消のお弁当屋「THERE IS NOEND」に就職した。

柏崎市役所内で営業する店舗には彩り豊かなお弁当が並ぶ
猪浦
友理はどうだった?
佐藤
私はコロナ禍だったかな。ライブもできなくなって、これから先どうやっていこうか考えてた。当時はラジオのパーソナリティーもやらせてもらってて『柏崎のぎおんの大花火大会が本当におすすめ』って話をしてた。でも、長岡の花火は知ってるけど、柏崎のは知らなかったって言われることが多くて
猪浦
長岡花火と柏崎花火の話はあるあるだね
佐藤
そうだよね!それで、千陽と同じで私にも柏崎で何かできることがないかなと思ってた。でも、今までやってた歌の活動、ラジオの仕事を一度リセットして柏崎に戻るっていうのは勇気が出なくて。その矢先、柏崎市の地域おこし協力隊でラジオパーソナリティーをしながら地域PRができるという募集を見つけた
猪浦
実は私、その募集があるのは知ってて、友理が来てくれたらいいなとは思ってたんだけど、東京で頑張ってるのも知ってたし、言う必要もないかって伝えなかったんだ
佐藤
うん、これは私がやりたかった事がつまっている募集だと思って、すぐ応募した。仕事の現地体験もして、そこから半年くらい悩んだな。東京にはラジオの仕事もあって、歌の相方もいて、友達もいる、そんな環境を一度リセットして柏崎に戻る決断が難しかった
猪浦
相談の連絡が来たときはすごく嬉しかった。柏崎のことを気にかけてて、戻ってくる選択肢があるんだって
佐藤
でも、絶対に来て!って感じじゃなかったよね。最後は自分で決めることだからって
猪浦
わぁ、優しいじゃん、私
佐藤
そうだね!だから、そうやって私のことを考えてくれる人が柏崎にいるのは、帰ってくる勇気になったな
猪浦
そういう存在はたしかに大きいかも。私も帰ると決めた半年の時期で、今、働いている店のオーナーが同年代のLINEグループを作っていて。そこに誘ってもらったんだよね。その時に帰ってきても入れるコミュニティがあるのは心強かったなと思う
佐藤
戻ってきてもコミュニティがあるっていうのは、U・Iターンで柏崎に暮らすことになったときには背中を押されるようなきっかけになるよね。人は重要だなって思う
就業先のFMピッカラでラジオパーソナリティーとして活躍

猪浦さんがUターンしてから、約3年後。2022年10月に佐藤さんは柏崎市の地域おこし協力隊として、株式会社柏崎コミュニティ放送(FMピッカラ)に入社。東京での経験を活かして柏崎市に帰ってきました。

夢を追って、柏崎を出ることをいち早く決めた佐藤さん。その姿に背中を押されて大阪へと転職を決めた猪浦さん。柏崎が嫌いになったのではなく、自分がやりたいことに挑戦したいという想いが、2人が柏崎を離れた理由でした。

それぞれの経験を経て、再び柏崎で顔を合わせた2人のUターン後の生活、そして「一度、外に出たからこそ見えてきた柏崎の魅力」とは何だったのでしょうか。

大人になって見つけた柏崎の魅力

ーーーー柏崎に帰ってきてからの生活はどうですか?

佐藤
帰ってきてから、あらためて見つけたことは『人』でしたね。10代の時の人間関係ではない、新しい人間関係。私にとっては大きな発見でした。あとは千陽ちゃんが紹介してくれるお店とかかな
猪浦
一緒に飲みにいけるから、地元の美味しいお店とかは大人になってからじゃないと分からないよね。楽しいお店もたくさんあって、柏崎の地のものを出しているけど店主がずっと喋ってるみたいな場所もある
佐藤
地元の美味しい食材やお酒を楽しめる場所は大人になってからじゃないとなかなか分からないよね。面白いお店もあって、料理は美味しいのに店主がずっと喋りかけてくるみたいな
大人になって地元の “いい店” も知れるようになった
猪浦
一緒に地元を開拓できる人がいるといいよね
佐藤
食に関しては、飽きることはないもんね。特に海鮮やお寿司なら毎日でも食べられるよ
猪浦
柏崎には、地魚のお寿司がリーズナブルに食べられるし、エビのお味噌汁が飲み放題なんていうお店もあるよね
佐藤
そうだね。あとはサウナも好き。私、柏崎に来てからハマっちゃって。サウナハットとかも買い揃えて、よく行く。柏崎は有名なサウナスポットがあって、サウナ宝来洲(ホライズン)とSHIIYA VILLAGEが人気だよね。県外からも来る人が多いんだって!
猪浦
海も近いから、海を見ながら楽しめるサウナスポットがあるのは柏崎ならではだよね。柏崎で “ととのう”を初めて知りました
佐藤
そうそう、私も。そこも柏崎に帰ってきて良かったなって、感じることの一つかな。東京だとすごく高いよね、そういう場所
猪浦
柏崎にサウナスポットとか “ハコニワ”みたいなお洒落で楽しめる施設ができて、本当に嬉しい

知らないだけで、まだまだ見つけられる

佐藤
あと柏崎といえば、私にとっては、やっぱり海かな。そして夏
猪浦
海、好きだもんね
佐藤
東京に出ていたときも、帰省のたびに海に行って、1-2時間くらい黄昏て家に帰ってた。海がDNAに刻まれている柏崎の人は多いと思う
猪浦
私も大人になって海に入ることは少なくなったけど、自分の生活の一部に海があるっていいなと思う。室内での仕事が多いけど、配達で外に出たときに海が見えると、心穏やかになる
店頭での販売だけではなく、市内への配達の仕事もしている
佐藤
あとは、『谷根(たんね)』も好きかな。フリーマガジンで『柏崎サイズ』というのがあって、撮影に行ったけど『米山』っていう柏崎を代表する山があって、景色も綺麗な場所だよ
猪浦
見たよ、表紙になってるの。谷根にある移住した夫婦がやっているgoodgrind farmもおすすめ。旦那さんは土作りからこだわって、『米山当帰』を作ってるし、奥さんは谷根の里芋を使ったドーナツ屋さんをしてるよ
佐藤
あれ里芋だったんだ。すごいモチモチしてて、満足感があって美味しかった
猪浦
私たちより若い世代が柏崎でやりたいことをやって楽しんでいる姿を見ると、こっちまで嬉しくなるし、まだ知らない柏崎の魅力がたくさんあるんだなって思ってる
佐藤
それで言えば昔はなかった、海でBBQができるセントラルビーチもおすすめだよね!柏崎の海を眺めながらのBBQも最高だよね。
海も山も近くにあって自然を感じるアクティビティーが豊富にあるのは、あらめて知った魅力かな

背中を押す側になって、柏崎を出ている人たちに伝えたいこと

猪浦
昨日ふと思ったんだけど、柏崎って22時くらいに外出たら誰もいないんですよ。道も真っ暗で。そんな道を友達と電話しながら歩いて帰る。そういう時間も尊いなって。飲み会で話し足りない時は海に行って話したり、夜の波の音を聞きながら一緒の時間を過ごしたり。都会にはない『愛すべき不便さ』みたいなのも含めて柏崎いいなって思う
佐藤
静かな道を歩くのは良いよね!でも交通の便を考えると『愛すべき不便さ』とは思わないかも。
猪浦
えー!
佐藤
でも、それは私がペーパードライバーだからかもしれない。移動、まだ自転車なんだよね。大人になって、車で行動範囲が広がったら、そういう風に感じられるかもしれない
猪浦
たしかに。車の運転をするようになってから、行動範囲も広がったし新しい発見があったかも。
和気あいあいと話すお二人の小気味良い対談から仲の良さが見える

ーーーー最後に、背中を押す側になったお二人から、伝えたいことはありますか?

佐藤
私は柏崎市地域おこし協力隊としてFMピッカラに勤めていることもあって、色んなところに取材をして柏崎の魅力を発信したいという想いはある。特に『ぎおん柏崎まつり海の大花火大会』を世の中にどうしても知らしめたいっていう気持ちが強いな
柏崎の魅力を伝え、多くの人に届けたい
猪浦
すごい執念!私は移住してしばらく経つけど、もう少し地元のお祭りとか、親の世代に任せっきりになっている行事とかに入っていけるようになったらいいなと思ってる。子どもの時は自分の地区の行事や神輿は、親がいるから嫌だなって思ってたけど、今は自分の住んでいる地域をもっと知りたい
佐藤
話してて思ったけど、柏崎を出たから見つけることができたことって、本当にたくさんあった。今、柏崎の外にいる人たちは、そういった目線からもう一度、地元を見て欲しいかな
猪浦
自分の悔いが残らない人生を送って欲しいから、無理に帰ってきてとは言わない。もちろん、帰ってきてくれたら嬉しいけどね。でも、柏崎だからって自分がやりたいことを諦めなくても良いと思う
佐藤
柏崎にまだないから、自分が始めるっていうこともできるよね
猪浦
そうそう。それで、もし、こっちに帰ってきてやりたいことがあるとか、悩みがあるとか、そういう人がいたら解決してあげたいって気持ちもあるよ。おこがましいかな、お節介かなと思いながら
柏崎のために出来ることを探して、まちづくりにも関わる猪浦さん
佐藤
そうだね。せっかく柏崎に来たなら楽しんで欲しい。新しく移住した人にも不便を感じてないかなって不安に思っちゃう。でも、背中を押してくれる人や柏崎を紹介するのが上手い人も多いから、これからUターン、Iターンする人は繋がって欲しいよね
猪浦
うん。私も帰ってくるまでは、何もないって思ってた。そんな時に『市民活動センターまちから』に行って、そこから自分が知らない柏崎をどんどん知っていったから、まずは一歩踏み出して、新しい繋がりを作りにいってもらいたい

柏崎を出たから見えたこと、経験したこと。
自分が外の世界で吸収をしてきたことを『柏崎で活かす』
そんなU・Iターン者が増えている。

柏崎に新しい魅力を生み出す源泉には、背中を押してくれる繋がりがあった。
そんな繋がりの中に、まず一歩。踏み出してみてはどうだろうか。