妻の家業を継業するために移住した岡田和久さんを支えたJCI柏崎との出会い
海があるまちの空気感がしっくりくる。
そう話す岡田和久さんは、広島県尾道市の出身。
妻の実家である柏崎市に移住をして14年。
見ず知らずの地域での暮らしを「落ち着きある幸せな日常」へと変えていった柏崎市での出会いとは。
見ず知らずの柏崎市へ嫁ターン
界隈では嫁ターンと言われている。妻の地元へと移住をする夫のことで、岡田和久さんも正に柏崎市へ「嫁ターン」をしてきた移住者の1人。
岡田さんは観光と造船のまち、広島県尾道市で生まれ育ち、大学進学のため上京。卒業後は神戸の港湾運送業の社員として働いていた。
「都会的で大きなものを取り扱う仕事に憧れがあったんです。だから、神戸という大きな港での物流の仕事はやり甲斐がありました。デスクワークが中心でしたが輸出入に使うコンテナの管理やメンテナンス、実際に作業をする協力会社との調整と忙しい毎日でしたね。結婚して子どもが産まれてからも、増えていく労働時間が悩みでした」
- プロフィール
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- お名前
- 専務取締役 岡田和久さん (藤林コンクリート工業株式会社)
- コメント
- 1980年生まれ。広島県尾道市出身。一橋大学経済学部卒業後に神戸の港湾運送業で物流・コンテナ管理のマネージャーとして働く。大学時代に競技ダンス部に所属しており、妻の理恵さんと出会う。2006年に神戸で結婚、2009年7月に当時0歳8ヶ月の娘と三人で柏崎市に移住。理恵さんの家業である藤林コンクリート工業株式会社に入社。理恵さんの実家の隣で妻・娘3人・犬2匹で暮らす。
港湾の朝は早く、繁忙期には始発から終電がなくなるまで働く日もあった。一緒に働いていた同僚の助けを借りながら日々をこなしていたが、異動のタイミングで業務量がさらに増え、柏崎市への移住を決めた。
「正直な話をすると、このまま神戸で働き、子育てをするイメージが湧かなかったんです。家族のために頑張って働く気概はありましたが、せっかく頑張って働くなら縁のある人達のために働きたい。そういった想いや子育てのタイミングも重なって、妻の実家と家業がある柏崎市へ移ることにしたんです」
こう話す岡田さんから、都会の生活に疲れて…といったネガティブさは感じない。大切な人のためなら、頑張ることはできる。でも、未来のために自分の時間を使うなら、妻と子どもに縁がある土地のために。そんな力強さが溢れていた。
まちでも雪は大変、でも、住めば都。
柏崎市の人口は約7.8万人(2023年9月現在)。日本海に面した地方都市でありながら、郊外に出れば自然に囲まれ、人混みも少ない。岡田さんにとっては縁遠い地域だったが、生まれ育った尾道市との共通点に親近感を感じていたという。
「海が好きだったので、柏崎市での生活は『落ち着く』の一言です。規模や空気感も尾道市に似ているんですよ。自宅の庭でBBQもできますし、犬も遊ばせてあげられます。柏崎市の郊外の坪単価って3万円程度で購入できる場合もあって神戸市の中心地に比べると100分の1程度。暮らしやすさはありながらも土地が安い分、建物にこだわれるのは良いところだと思っています」
リビングからは子どもたちがピアノの練習をする中2階が見え、庭へ続く大きな窓からは穏やかな陽光が差し込む。どこにいても、家族の気配を感じられるようなあたたかな間取りだ。
「子育てに関しては妻が頑張ってくれているので、偉そうなことは言えませんが、待機児童もなく、病院も近いので安心感がありますね。休みの日には近くの海に気軽に遊びにいける距離感で、八石山の登山口もすぐ近くにあります。レジャーや自然の遊び場がコンパクトにまとまっているような立地ですね」
インタビューを受ける岡田さんを後ろから見守る家族に、チラと目配せをしながら話を続ける。
「でも、雪だけは驚きました。初めての冬、一晩で60cm積もったときは、『今日、会社は休みかな』って思いましたね。普通に皆さん出勤していってましたけど。今では雪も慣れましたし、子どもとスキーも始めました。自然の中で色々な体験ができること、好奇心を持って伸び伸び遊べること、雪が降ること。住めば都とはこういうことなんだなと思います」
柏崎市に理恵さんと住み始めて14年。当時1歳に満たなかった長女の紗楽(さら)さんは中学3年生になった。移住後に産まれた次女の彩春(いろは・小6)さん、三女の凜(りん・小1)さんの5人と2匹の生活。岡田さんの顔に地元と都心を離れた後悔はなく、ただただ幸せな日常の風景が広がっていた。
若い人に魅力的に思ってもらえるような企業と地域に
岡田さんの職場は自宅から車で5分。妻の理恵さんの家業を継ぐため、移住後すぐに入社したコンクリート製品の製造会社だ。
岡田さんが働く藤林コンクリート工業株式会社は、建設現場での省力化に役立つコンクリート製品を扱う企業。日本で初めての建設大臣の認定を取得した擁壁や駐車場の地下に埋め込まれる耐震性貯水槽などを製造している。最初は右も左も分からずに入社した業界だったが、地域のつながりに助けられたという。
「都市での仕事と違うのは『企業』や『担当者』の1人としてではなく、『人』とのつながりの中で仕事ができるということでしょうか。現場を知っていれば当たり前に知っている仕事の順序、例えば配管の位置だとかも気軽に聞けるし、取引先の方からもこっそり教えていただいて勉強してました。企業の垣根を越えて、人と人の関係の中で仕事ができるのは、私にとっては心地良さにつながっていますね」
しがらみなく、助け合える仲間のような存在。困ったとき、悩んだときに会話ができる人間関係が安心感の源泉になった。その中でも、岡田さんが移住当初、全く外部に知り合いがいない中で出会った柏崎青年会議所の存在は大きいという。建設関係の繋がりで勧誘を受けて加入し、理事長まで勤め上げた。
「JCI柏崎には丸々10年在籍していました。最初は何をする組織なのか、あまり分かっていなかったのですが、外から来た私に色々な役割を任せていただいて、柏崎の歴史や産業のことを教えてもらったり、人間関係が大きく広がったり、人脈が仕事にも繋がって、私にとっては、本当にありがたい組織でしたね」
JCI柏崎を通じて、岡田さんの人間関係は大きく広がった。町内でも、職場でもなく第三のコミュニティに属することで移住者が抱える『孤立』もいくばくか防ぐことができるのかもしれない。
「これからの目標は、今の会社をしっかりと経営していけるように仕事をして、地域のつながりも大事にしていくことです。特に人手不足が課題なので、若い人に魅力的な仕事だと思ってもらえるような企業・地域をつくっていけるように頑張りたいと思っています」
今の岡田さんを支えているのは、家族だけではない。見ず知らずの土地で3人の子の父になり、経営者になり、そして柏崎市の一員として暮らしている。
もし、柏崎市へ移住したら「思いきって地域コミュニティに入ってみて欲しい」と岡田さんは話す。まちの暮らしの魅力は、そうした出会いを通して、より深く知ることができるのかもしれない。見ず知らずの土地であっても、波長の合う人は必ずいる。この小さな海辺のまちでは、人との出会いが大きな力になるはずだ。
柏崎市と自分を繋げてくれる『人との出会い』を見つけよう。